BERLIN PART2 “Konzentrationslager Sachsenhausen”
フィガロジャポンなどではオシャレな街として特集されるが実際にはそんなイメージ皆無なんですが(??)

デンマーク戦争の勝利を記念して建設された戦勝記念塔ジーゲスゾイレですが

元々はドイツ連邦議事堂の前にあったのですがヒトラーのベルリン世界首都化構想で今の場所へ移されました。

市内にはRINGという名称の環状線が運行しているのでどことなく東京に似ているとも云えます。

旧東ドイツ側の土地は下町というか・・・急激に治安が悪くなるので気が抜けません。

昔からある様な個人店以外は駅内施設を中心に再開発されているので便利ではありますが・・・

通路が暗いコトもあり獲物を探している様な鋭い目をした輩を頻繁に見かけました(((( ;゚д゚)))アワワワワ

ドイツ人は規則に対して厳格なので敢えてそれを破るヒトはそれなりに覚悟してるため・・・

今回はベルリン北部に残っているザクセンハウゼン強制収容所を訪問してみます。

ドイツでは過去と同じ過ちを繰り返さない様に負の遺産を公開して後世へと事実を伝えています。

共産党員や社会民主党員などの政治犯やジプシーの収容を目的としていました。

収容所お決まりの働けば自由になれる?と言うのは心理を逆手にとって絶望させるためのモノ・・・

白い標識のNEUTRALE ZONEには”此処に足を踏み入れたら即刻射殺する”と書かれています。(キ▼_▼)o┳*

収容された者が自由に歩ける筈もなく・・・このエリアに引きずり込まれたら最期って意味かと・・・

これらの一般収容者用バラックは忠実に復元されたものだそうです。

浴室・・・

政治犯などは独房のあるゲシュタポおよびSS管理下特別監獄に隔離して徹底的に虐待されたそうです・・・


収容されたバラックの窓のすぐ外は囚人を虐待する広場で四六時中悲鳴が聞こえてくる恐怖の音響付(><)

この3本の杭は収容者を足が地から離れるまで吊し上げて親衛隊員が徹底的にに殴りつけるためのモノ・・・

分厚い扉のある地下室は死体安置所として使われておりある程度まとめて焼却処分していたとのこと。

戦後ソ連軍によって建てられた慰霊塔。

この地では1936年から1945年にかけて22万人が収容され役10万人が殺害されています。

どうにも気が重くなる記事になってしまったので最後は平穏な時間の流れるベルリン大聖堂で締めます。