BERLIN PART1 “Weeping Wall”
ちょうど30年前の今日11月10日に東西を分断していた壁が壊され統一ドイツの首都となったベルリン。

近隣の大都市とは明らかに異なる旧ソ連統治による社会主義体制時代の緊張感が今も消えずに漂っています。

パリやミラノと同じ様な店舗が並んでいても何処か閑散としているのは・・・

ベルリンの壁崩壊後も東西の経済格差は埋まらず依然として残っているからです… (/д`ο)゚。

壁の一部が残る旧東側のイーストサイドギャラリー付近まで来ると退廃的な空気に豹変します。

ベルリンの壁は旧東ドイツからの人口流出を防ぐため1961年の8月13日一晩にして築かれたモノ。

当初は有刺鉄線を使った簡易的な造りだったのですが強行突破する輩が後を絶たず現在のカタチに姿を変える。

日本の教科書には当時のドイツの地図を明記していることは稀なので理解しにくいのですが

旧東ドイツ内の陸の孤島状態な都市の西側だけが旧西ドイツ領と云う四方塞がりな状態だったんですね。

壁を覆うフェンスが設置されている箇所が増えたのはイタズラ書きや誓愛の南京錠を防ぐため・・・orz

ベルリンの壁が壊されるキッカケとなったのはある勘違いが発端でした。。。φ(▽▽メ)

1980年代になりポーランド・ハンガリー・チェコスロバキアなど周辺の共産圏が衰退するにつれて

旧東ドイツ国民からも民主化要求のデモ活動が活発になり東ドイツ政府はそれを抑えるために

30年前の今日に査証の発給を緩和するだけの意図で出国規制緩和法を発表したつもりでしたが・・・

詳細を知らなかった代理の担当者が焦って即刻で国境が解放されると発言してしまったのだとかwww

歓喜した国民が一斉に我先にと旧西ドイツを目指し結果的に国境が機能しなくなったのが真相だそうです。

その後に興奮した人々が壁を破壊し始めて翌日1989年11月10日にはベルリンの壁崩落ヾ(☆´Д)人(Д`☆)ノ
放浪後記
ベルリンの壁が消滅した当時の東側は産業施設が全て老朽化した廃墟同然の状態だったそうです。当然インフラを再整備する必要があったのですがドイツ政府は統一による増税はしないと宣言していたので困った。。。ヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノ
そこで所得税の5.5%の額を連帯賦課金と云う名称で1年を目処に徴収すると無理矢理決定したのですが30年経った今でも徴収され続けているそうです。(日本の復興特別所得税みたいなもの)
個人的には浄化政策で健全化を目指したものの返って活気がなくなってしまった歌舞伎町や西川口みたいな都市だなと・・・アワ((゚゚дд゚゚ ))ワワ!!